2021.10.19
リーダーインタビュー Vol.3
BLACKSOX西野 耕太郎さん
健常児、障がい児、学生、社会人…地域の“全ての人”が同等に大切。
スポーツによるコミュニケーションで、豊かな心とチャレンジする気持ちを育みたい
地域社会を構成する全ての人に、スポーツや遊びの場を提供し、スポーツによるコミュニケーションを通して、自己肯定感やチャレンジする気持ち、相手を想う心を育む活動を行っている「BLACKSOX」。プロテニスプレイヤーの西野耕太郎さんが、「選手生活で身に付けたスキルや経験を社会に還元したい」「靴下がまっ黒(BLACKSOX)になるまで、誰もがみんなスポーツを楽しんでほしい」と1999年に立ち上げた団体です。
第1回東急子ども応援プログラムで助成したスポーツイベント「子ども応援 チャレンジスポーツ!」は、コロナ禍に対応するため、オンラインで開催されました。西野さんの活動に懸ける思い、スポーツイベントを初めてオンラインで実施するまでの苦労や終えての感想、今後の可能性を聞きました。
はじめに「BLACKSOX」について教えてください。
地域社会の「みんな」をスポーツで元気にしたい
今、地域社会ではスポーツを楽しむ機会や、スポーツを通してコミュニケーションする機会が減っており、健康的な心身の発達環境を得られない子どもや大人がたくさんいます。
BLACKSOXが目指しているのは、そうした地域の全ての人に、心と体を動かす機会を提供し、スポーツを通して、「できた!」という達成感と、「相手に伝わった!」「人の役に立った!」という自己肯定感を感じてもらうこと。そして、そこから新たな目標に「チャレンジする気持ち」や「相手を想う心」を育んでもらい、ひいては安心・安全で心豊かな地域社会の醸成につなげていくことです。
具体的な活動としては、健常児や障がい児、学生、社会人に、スポーツや遊びの機会を提供する「チャレンジスポーツ!」というイベントや、そのテニス版である「チャレンジテニス!」の開催。一般向けテニス教室や、障がい児向けテニス教室(現在、コロナ禍で中止)の開催、スポーツを通した地域のコミュニティーづくりにも携わっています。
BLACKSOXという名前には、「スポーツでみんなの靴下をまっ黒にする」という意味を込めています。ここで言う「みんな」とは、健常児・障がい児・外国籍の人・高齢者・大人など、地域社会を構成する全ての人。みんなにスポーツを楽しんでもらい元気になってもらいたいという思いが詰まっています。
僕にとっては、健常児も障がい児も、お仕事をしながら参加してくれる社会人も、余暇を楽しむ高齢者も同等に大事。ですから「BLACKSOXはどんな団体ですか」と聞かれたときには、いつも「地域社会を構成する“みんな”にスポーツを楽しんでもらう団体です」と答えています。
西野さんの経歴とBLACKSOXを立ち上げた経緯を聞かせてください。
大好きなテニスで、「社会に」恩返しがしたかった
僕は学生時代に部活動でテニスを始め、その後プロのテニスプレイヤーになりました。20代・30代の頃はコーチの仕事をしながら国内外の大会を転戦。結果的にすごい戦績を残せたわけではありませんが、とても幸せな選手生活を送ることができたと思っています。
引退するにあたり、お世話になった先輩方にあいさつをした際、「今度はテニスに恩返しをする番だね」と言われました。でも僕はその時、自分はテニス界にではなく「社会に」恩返しがしたいんだと気付いたのです。テニスが好きで、好きなことをしている現役生活が幸せだったという実感があるからこそ、好きなことを見つけられる環境をつくり、好きなことをする楽しさを社会のみんなに伝えたい。そんな思いでBLACKSOXを立ち上げました。
僕は団体をNPO法人化する時に再びプロ登録をしました。今度は選手としてではありません。「全ての人にスポーツを楽しんでもらう職人になろう」という決意からです。「プロ」を名乗ることで、社会の中できちんとした立場で取り組むんだという覚悟もありました。その思いは今も変わりません。
活動をする上で大切にしているのはどんなことですか?
重視するのは「スポーツを通したコミュニケーション」
BLACKSOXでは、スポーツはあくまでツールだと考えています。我々が一番提供したいのは、「スポーツを通したコミュニケーション」です。健常児、障がい児、大人たちが一同に集い、楽しみながら交流する機会を提供したい。そのために、特に大切にしているのが、相手の「名前を呼ぶ」「褒める」「達成感を共有する」ことの3つです。
君のことを知っているよ、君と仲良くなりたいと伝えるため「名前を呼ぶ」。そして、失敗したときほど「褒めて」、気分が沈まないようにする。さらに簡単な目標を掲げ、それがクリアできたら一緒に喜び「達成感を共有」する。これらを心掛けることで、僕たちが目的とするスポーツを通じたコミュニケーションの実現につながります。そして、こうした思いやりを、地域社会を構成する全ての人が持てたら、もっと幸せな世の中になると思っています。
この3つの行動は、イベントを手伝ってくれるボランティアの皆さんにも実践してもらっています。ボランティアには、学生さんや地域の親子、子育てが一段落した世代、退職後のシニア世代が参加してくれていますが、必ず3つの行動について説明し、僕たちが目的とするスポーツを通したコミュニケーションは、ここからスタートするんだと伝えています。
コロナ禍で開催した初のオンラインイベント「子ども応援 チャレンジスポーツ!」について教えてください。
「僕たちは君たちが気になっているよ」と伝えたい
コロナ禍で気になっていたのは、重度の障がいを持つ子どもたちが、家から出られなくなっていたことです。元気な子は去年の秋ごろから活動に参加していたのですが、重度の子たちは家から出られなかった。今回「子ども応援 チャレンジスポーツ!」をオンラインで開催するにあたり、何よりもこの重度の子たちに、「僕たちは君たちが気になっているよ」「コートで待っているよ」と伝えなければいけないと考えました。
プログラムを組む際には、モニターの中だけで対戦するのではなく、モニターのこちら側、つまり会場にあるものを動かす遊びやゲームができるよう心掛けました。これにより、在宅の子たちに会場のことを意識してもらい、「いつかあの会場に行き、みんなと一緒に遊べる」と希望を持ってもらおうと考えたのです。さらに同年代の健常児やスポーツ選手と共に作った応援動画を流し、「君たちのことを待っているよ、コロナが終わったら一緒に遊ぼうね」と伝えてもらった他、会場で使っているテニスボールと同じものを在宅から参加する子の自宅にも送ることで、会場との一体感を感じてもらえるようにしました。
開催に向けた苦労はありましたが、在宅の子たちに、コロナ後の目標や希望を伝えられるイベントになったと思います。
特に印象に残っている出来事はありますか?
「相手を大切に想う」心の芽生え
在宅の子たちへの応援動画を作った際、健常の子たちに、在宅の子たちの状況を写真や動画で見てもらいました。健常児の中には、重度の障がいを持つ子を初めて見た人もたくさんいました。その中の一人が保護者に向かって、「この子たちはお母さんが死んじゃったらどうなるの?」と聞いたそうです。子どもらしい、率直で、心に突き刺さるような言葉だと思います。
重度の障がいを持つ同じ年ぐらいの子の様子を見てショックを受けたのでしょう。でもショックを受けたからこそ、「この子たちが困っていたら、手を差し伸べよう」「手伝ってあげよう」という、相手を大切に想う心が子どもたちに芽生えたんじゃないかなと思います。
活動する僕たちの気持ちが通じたとも感じられる、とても心を打たれた出来事でした。
オンラインでスポーツイベントを行うことで感じた難しさや可能性は?
将来の就労につながる可能性がある発見も
解決しなければならない課題は山ほど出てきました。でも、オンラインだからこその新しい可能性も見えてきました。
特に強く感じたのが、今回のイベントの中で実施した、オンラインでロボットを動かす取り組みです。パソコンやネットワークを使い、指の動きだけで、会場にある物を動かす仕組みだったのですが、このようなテクノロジーを活用することは、重度の障がいを持つ子たちの将来の就労にもつなげられるかもしれません。
これまでは、一緒にスポーツをしながら、この子たちが就労した時に基本的なコミュニケーションができるようになっていたらいいなと考えていましたが、今後はこういったテクノロジーを活用した体験プログラムで、より子どもたちの自立や就労に向けたサポートができるかもしれません。そんな取り組みも、BLACKSOXの活動の延長線上にあると思いました。
最後に今後の展望を聞かせてください。
子どもたちの大切な1年を支えたい
今までやってきたことを続けていきます。ただし、スタッフを増やし、活動拠点を増やしながら、地域社会へのインパクトをより大きなものにしていく予定です。
子どもたちの1年というのは、大人の1年とは違います。特にコロナ禍で自宅に居続けなければならない子にとっては、外に出る、遊ぶ機会を得るというのは、本当に待ったなしで必要な状況です。スポーツを楽しんでもらうプロとして、子どもたちの大事な時期を支えられるよう、これからも尽力していきます。
NPO法人BLACKSOX 理事長西野 耕太郎(にしの・こうたろう)さん
高校生の時にテニスを始め、20代でプロのテニスプレイヤーに。現役中の1999年に任意団体として「BLACKSOX」を立ち上げる。2002年に障がい者も参加できるバリアフリーテニスを開始。2007年にBLACKSOXをNPO法人化した際、プロとして再登録。「全ての人にスポーツを楽しんでもらうプロ」になるという決意表明でもあった。現在、理事長として活動全般をけん引している。