2025.07.24
リーダーインタビュー Vol.20
特別企画:東急子ども応援プログラム選考委員会 (元)選考委員長・木下勇さんへインタビュー
子どもの声を聞き、子どもたち自身が参画できる取り組みを。
それが子どもの成長を促し、未来に希望が持てる社会の実現につながるはず

2020年の東急子ども応援プログラム発足から今年で5年。初回から選考委員長を務めてくださった木下先生(元・大妻女子大学 教授/千葉大学 名誉教授)が、2025年度助成の選考をもって委員長を退任されました。現在は静岡市で奥さまが営む古民家でのパンカフェ「かえるの庭」を手伝いながら、新しい挑戦も始めていらっしゃいます。
これまで選考委員長として感じられてきた思いを伺いに、当プログラムの事務局スタッフ・近藤がそのカフェを訪ねました。
写真左:近藤 写真右:木下先生
静岡の古民家で新しい挑戦をしながら、今も子どもにまつわる活動は続けています
近藤:東急子ども応援プログラムの立ち上げから、本当にいろいろとお世話になりました。大学でのお仕事も終えられて、今はこちらでのんびり過ごしていらっしゃるのでしょうか。
木下先生:定年退職したのですが、科学研究費の研究のために特別研究員としてまだ時々大学には行っています。自分が関わった本や雑誌から専門書まで、とにかくたくさん本があって。整理などをするために、時間を見つけては通っています。
こども環境学会の会長や、ユニセフの「子どもにやさしいまちづくり事業」委員長をはじめ、子どもにまつわる活動はまだ続けているので、なかなか時間が取れないんですよね。なにかと忙しくしています。
-
カフェには、手作りパンをトーストするための囲炉裏が。囲炉裏の火をおこすのは木下先生の担当だそう -
母屋は安政5年(1858年)頃の建築と伝わる国の登録有形文化財。柱や梁なども当時のまま残る
近藤:こちらは趣のあるすてきな建物ですね。どこか懐かしさもあって居心地良く、とても落ち着きます。奥に長くて広いお庭を先生がご自身で手入れされているのですか?
木下先生:この母屋は160年以上前に建てられたものなのですが、いいでしょう? 庭もなかなかなんですが、庭の仕事って結構大変でね。草木があっという間に伸びてしまう。でも庭の手入れを業者にお願いしたら数百万かかってしまうので、自分でやっています。
大学では園芸学部に所属していましたから、学生たちが樹木の手入れをしているのを目にする機会は多かったんです。もちろん、私の専門は建築なので、実際に手を動かしたわけではなく、窓から眺めていただけで。見よう見まねでやっていることもあり、今になって、あの頃にもっと教わっておけば良かった、なんて思っています(笑)。
でも、大変ながら面白さもあるんですよ。木がどんな風に伸びるか、草もそれぞれが競い合っている様子なんかが分かってきて。よく道路の脇に芝生が生えていたりするでしょう。こういう芝生って強そうだなと思って、ちょっと切って駐車場の敷石の間に置いておいたらすごく伸びました。雑草と闘って勝ち残った強い芝生だから、車のタイヤに踏まれても枯れないんですよ。
庭の手入れとともに、近々、離れで宿をオープンしたいと思っています。アカデミックの世界をどんどんフェイドアウトして、ビジネスの世界にシフトしていかなきゃいけない、というところですね。


市民活動をする団体が、もっと増えていったほうがいい。だから選考も、落とすための議論はしませんでした
近藤:選考委員長を務めてくださった5年間を振り返って、今思うことはありますか?
木下先生:5年の間に、いろいろと勉強させてもらいました。子どもたちのために活動されている団体がたくさんあることも知ることができました。退任した今、そういった面での刺激がなくなったのは、少し寂しい気がします。
ずっと感じているのは、こういう活動をしている団体がもっと増えていくといいなということ。だから選考では、落とす方向に議論するのではなく、救う方向で議論をしていました。団体の活動に課題があると聞くと、「もっとこうしたらいいのでは」なんてつい口を出してしまって。選考委員というより、そういう発想になってしまってね。
近藤:団体さん側からしたら、そういったアドバイザリー的なご意見を頂けるのはうれしいと思いますよ。
木下先生:「選考」っていうと、基準で落とす発想というか、偉くなったような気分に陥りがちですよね。でもこういった市民の活動ってむしろ、圧倒的多数は関心を持たないことをやっている、それ自体もうすごいことじゃないですか。こういう活動がもっと育って活躍できる社会をつくっていかなければいけないという思いがあるので、つい口を出してしまうんです。
もちろん枠は限られているから、選考のための評価は必要なのですが、それはあくまで相対的なもの。申請書の書き方だったり、組み立て方だったり、目標や活動のプランだったり、そういうところでの評価であって、団体そのもの、活動そのものの評価ではないので、「落とす」議論は必要ないんですよ。
近藤:年に1回の選考委員会では、選考委員の皆さん、それぞれ専門分野や経験が異なるので、推薦する際の重要視する視点も違うんですよね。そのような中で持ち寄られた候補について、たくさん会話をしながら決めていく。とても勉強になりました。
木下先生:僕たちは、その団体のことをよく知らない。数少ない情報しかない中で判断するので、完全ではないんですよね。その不完全さは前提の上で考えていかなきゃいけない。そのために対話というのはとても大事なんです。
子どもの環境づくりで大切なのは「多様な主体」。日本もクリエイティブな社会になっていかなければ
近藤:先生は大学では建築を学ばれたんですよね。子どもたちの活動、特に「遊び場」に関わるようになったのは、何かきっかけがあったのですか?
木下先生:私は伊豆半島の先にある、南伊豆町に生まれ育ちました。弓ヶ浜という美しい砂浜や豊かな自然は子どもたちの格好の遊び場で、そこでのびのびと育ったわけですが、その豊かな遊び場が、開発による観光地化でどんどん変わっていく姿も目の当たりにしました。
大学では建築学を学びましたが、当時所属していたゼミが新潟県の亀田郷土地改良区に関わっていて、そこで子どもの遊び場の担当になって。そんなこんなで卒論は「環境の変化と子どもの成長」がテーマでした。その後先輩の紹介で、羽根木プレーパーク(世田谷区)の準備に関わらせてもらったり、大学院の修士課程に進んだ後はスイスに留学して、ヨーロッパの冒険遊び場(プレーパーク)を見て回ったりしているうちに、だんだん子どもたちの外の遊び場に興味が湧いていったんですね。
人間って、何かに夢中になっていると、関係するものに出会って、どんどん世界が広がっていく。不思議なものですね。
近藤:50年近く、関わられているんですね。だとすると、子どもたちの遊び場がどんどん変わったり、なくなっていったりするのを憂いながらの期間が長いのではないでしょうか。
木下先生:そうですね。それはずっと感じています。羽根木プレーパークができた頃、三軒茶屋周辺で子育てしていたお母さんたちが「自分たちの所にも遊び場をつくりたい」と活動をし始めて。そのお手伝いをしたのが三世代遊び場マップ(※)なのですが、大人同士でも、立場が違うと意見がぶつかりますよね。
同じ住民でも古くからの住民と子育て世代で意見が違う。でもそこに子どもが入ることで、子どもの前だからそんな大人げないことはできないと、いい感じになったりしてね。そういう「多様な主体」がまだまだ日本は少ないことも、理由の一つでしょうね。
留学時代にも、ヨーロッパの冒険遊び場を見てすごい、と思いましたが、去年行ったドイツのベルリンやミュンヘンでも、子ども関係の活動がとても活発でした。ドイツでは、青少年育成は多様な主体にならなきゃいけないという考えがあって、行政は非営利団体をしっかり支援しなければいけないという、青少年育成法がちゃんとあるんです。だから、協働とか委託とか、小さい政府というのが成り立っている。いろんな民間、非営利団体が活発に活動して、子どもにやさしい街をつくっているんだけれど、若い人や子どもたちにも活動に参加させているんですよ。
日本のように何でも大手に任せたりするのではなくて、住民が一体となった組織づくり、ソーシャルビジネスが展開されているんですね。ドイツに限らず、アメリカやオランダ、イギリスなんかもそうですけれど、こういう社会活動に若い人が進出してきて、新しい発想で、どんどん新しいことができているんですよ。
日本ももう、そういうクリエイティブな社会になっていかなきゃいけないと思います。でないと日本は大変なことになる。社会の課題解決は、なんでもビジネスでもうければいいってことではないですから。
※1982年(昭和57年)世田谷区三軒茶屋・太子堂地区で作られたマップ。子ども・親・祖父母の三世代がそれぞれ子ども時代の遊びの体験について話を聞き集めて、3枚の地図にまとめたもの
世界の子どもたちが国境を越えてつながり、意見を交わす。
子どもたちがそんなアクションを持ってくれれば救いになるかなと思います
近藤:社会が変わっていくために、未来を担う子どもたちに何をどう伝えていくべきなのでしょうか。
木下先生:こども環境学会でも、国際子ども平和賞を受賞した若者はじめ、自治体の子ども会議で発言力のある子ども・若者たちに集まってもらい、時々研究会みたいに、子どもの声を社会に反映するにはどうしたらいいかというのを考えてもらってディスカッションしたりしているのですが、今、そういう若者たちがつながるネットワーク、デジタルプラットフォームが各地でつくられつつあります。
昔、坂本龍馬は土佐藩を脱藩して、これからは藩じゃなくて日本としてまとまるべきだと言っていたけれど、そこから100年以上たった今、これからは、もう国じゃないだろうと。世界で紛争が起こっても国連は止められない。もはや機能していない古い仕組みではなくて、未来を創る若い世代がデジタルプラットフォームでつながって意見交換していくことがまずは大切だと思っています。
言葉なんか、AIを活用すれば問題ないので、1000人が1万人、10万、100 万、1000万とだんだん増えれば、国連も無視できない数になりますよね。若い人たちが支持をして、さらに次の世代の小さい子どもたちにつながっていくといい。今の民主主義の危機、平和の危機、環境の危機というのは、みんな未来の世代の人たちにツケを回しているということ。子どもたちがそういうアクションを持ってくれることが、少しは救いになるかなと思っています。
近藤:「つながること」は一つのキーワードですね。最近少しずつですが、助成させていただいた団体さんたちが横につながって、活動の場を広げてくださるケースも出てきました。ご自分たちが地域のプラットフォームになることを目指している団体さんもいらっしゃいます。
木下先生:それはとてもいいことですね。僕はここでインバウンド向けに宿を始めるつもりなのですが、来てくれた人たちの中でそういったことに関心のある人たちと、世界から投資してほしい人とをつなぎながら、メッセージを広げていきたいんですよ。
この地域で独自に、子ども真ん中の本当のまちづくり、地域で子どもを支えるための活動を展開して、狭い範囲でユニークなことをして問題解決すれば活路は開けていくんだ、というモデルづくりができればというのも考えています。
-
明治21年に電気の父といわれる矢島作郎によって建てられた別荘から、大正14年にこの地に移築されたという和館も国の登録有形文化財 -
宿の開業準備も着々と進む。内部はモダンで居心地のいい設えにリフォームされている

東急子ども応援プログラム 元 選考委員長木下 勇(きのした・いさみ)さん
大学で建築を学び、スイス連邦工科大学に留学。遊び場をテーマに工学博士を取得。「子どもの遊びと街研究会」主宰、農村生活総合研修センター研究員を経て千葉大学園芸学部教授に。その後、大妻女子大学教授、千葉大学名誉教授・グランドフェローを務める。2020年から東急子ども応援プログラム選考委員長となり、2025年大学の定年退職とともに選考委員長を退任。
日本ユニセフ協会「子どもにやさしいまちづくり事業」委員会委員長。専門は、住民参画のまちづくり、子どもの遊び環境、都市・生態環境デザイン、ランドスケープ計画&デザインなど。 著書:『ワークショップ』、『子どもまちづくり型録』など多数。